なぜ、「お母ちゃんが元気な町」?

このホームページのタイトルは、「お母ちゃんが元気な町」です。
私は大泣きしたことがありません。ただ一度の例外は、母親が死んだ時です。
病院の廊下で、兄と兄の子ども3人で、スクラムを組むようにしてみんなで大泣きしました。

母親は、40代からリュウマチを患い、指やひざが変形し、年老いてからは1日の大半を横になっていました。ステロイド剤を飲んでいましたが、痛み も完全には押さえられませんでした。
母親は、私が愛知教育大学附属中学校に進学することになって、実家のこんにゃく屋に働きに出ました。芋からこんにゃくを作り、袋詰めするまでの水 仕事で重労働です。リュウマチ発症には、この重労働が関係していたでしょう。附属中学は、46年前の当時でさえ、純毛の制服で革靴・革鞄でした。 私の家の収入では、たくさん背伸びをしないと通えない学校でした。
私は名古屋市内の下町の長屋で育ちました。子どもの頃から「母ちゃん」「父ちゃん」と呼んでいました。
私は、今でこそ社交的ですが、子どもの頃はいつも母親にしがみついていました。父親の社員旅行に連れて行ったもらった時も、ほかの人が手を差し伸 べると、火がついたように大泣きしていました。5歳で幼稚園に通うことになった時も、自分と同じような子どもがいっぱいいるのに驚いて、大泣きし て母親から離れませんでした。
根っからの「お母ちゃん子」でした。お母ちゃんは特別な存在でした。父親が死んだ時は、ケロッとしていました。

だから大切な大切なお母ちゃんには、元気でいてほしい。

わたなべのつぶやき

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