ひまわりの家施設長10年の仕事

子豚を抱かせてもらった わたなべ哲久の写真
「ひまわりの家では、無添加手作りソーセージを作っています。豚肉は、大分県の『九重ファーム』から仕入れているSPF(抗生剤をほとん ど使っていない豚)を取り寄せいています。九重ファームを見学したときに、子豚を抱かせてもらった わたなべ哲久 です。

・・・・・

三宅小学校の横の障害者福祉作業所・ひまわりの家の施設長として、10年間働いてきました。

三宅小学校の中から生まれたひまわりの家

19年前の1992年1月、先生たちが三宅小の卒業生の障害者に声をかけ、小学校の中のプレハブで、ひまわりの家は産声を上げました。
10年前に社会福祉法人を設立し、三宅小学校西隣に建物を建て、知的障害者授産施設(通所)ひまわりの家となりました。

地域で共に生きる

仕事、暮らし、人としての誇りを築き上げるために、障害者作業所2カ所 ひまわりの家(三宅町伴堂)、ほどらいこ(三宅町上但馬)グループホーム7カ所(三宅町4カ所、田原本町2カ所、川西町1カ所)ホームヘルプ相談支援事業を10年かけて創ってきました。
また三宅町学童保育に通う障害児の支援スタッフを派遣しています。

夏休みなどには、三宅小・川西町・式下中に通う障害児の遊びの場をつくっています。
『ピープルファースト』という知的障害者の権利擁護活動を支えています。広陵町で起きた障害者の虐待事件「大橋製作所事件」の被害者支援や、虐 待防止法の制定を求める全国活動などを行っています。」

広陵町で起きた大橋製作所事件

篭谷英次くん 民事訴訟報告集会にて広陵町にあった家具製造会社『大橋製作所』が、2007年5月、倒産しました。工場の2階の寮には、知的障害のある従業員11名が住み込みで暮らしていました。
彼らは、(1)年金をすべて横領されていた、(2)給料をもらっていなかった、(3)繰り返される暴力に耐えてきました。
仕事でミスをする度に、げんこつで胸や顔を殴られて、息が詰まるほど痛み苦しんだり、金槌の持ち手や金尺の角でたたかれ、頭から血を流していました。

わたなべ哲久が、被害者の一人・篭谷英次くんにインタビューしました。
篭谷くんはひまわりの家のグループホームで暮らしています。
篭谷くんは、大橋製作所の社長にぼろくそ言われ、殴られて、何度も会社をとびだしました。

篭谷くん「口より手の方が早かった」「お前なんか首だ、もう戻ってこんでいいと言われた。何べんも言われた。」

何日も戻らないこともありました。でも、

篭谷くん「帰れるところがなかった」
被害者のうち7人は長崎県出身。奈良県出身の4人も障害児施設などから大橋製作所に就職しています。

わたなべ「殴られている時、どう思ってたん?」
篭谷くん「悲しかった」
わたなべ「だれかに助けて!と言えんかったん?」
篭谷くん「バレたら、またやられる…」

今、篭谷くんは「虐待をなくす」と胸を張って訴え、損害賠償を求めて民事裁判を闘っています。障害者虐待防止法の制定を求めて、全国各地に自分 の体験を話しに行っています。

わたしは、彼らと共に歩み続けます。

中嶌明彦さん

かかとで踏ん張った

中嶌昭彦さん中嶌くんは、ひまわりの家の古くからのメンバーです。2006年8月にガンで亡くなりましたが、最後までグループホームで暮らしました。
三宅町生まれ育ちの中嶌くんの輝き!
原付免許に挑戦し、11回落ちて12回目に通りました。根っからの阪神ファンで、「選手にしてくれ」と一人で甲子園に言いに行きました。
16年間働いた工場を、統合失調症になり退職して、ひまわりの家に来ました。

一人暮らしをしていましたが、グループホームに入りました。なんで?
中嶌くん「ご飯食べた後、寂しいもん」
そうだよな。
なくなる前の日の会話です。
渡辺「なかちゃん、何度もしんどいときあったよな。そういうとき、どうしてたん?」
中嶌くん「かかとで踏ん張った!」

最後までかっこよかった「なかちゃん」!2002年秋、最初にできたグループホーム『ガッツの家』 中嶌くんも鍋を囲んでいます

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